文化審議会が大阪城天守閣を重要文化財に指定するよう答申した。歴史評論家は、徳川期の石垣に豊臣風の天守を載せた昭和の鉄筋コンクリート造は史実と無関係だと批判。スレでは近代建築としての価値を認める声と、記事への反発が目立った。
大阪城天守閣が重文答申へのネットの反応
■豊臣と徳川が混ざった摩訶不思議な建物
建築計画が持ち上がったのは昭和2年(1927)のこと。
大阪市では昭和天皇の即位を記念して、大坂城公園の設置と天守再建が計画され、それを市民からの寄付でまかなう方針が決められた。
予定どおりに150万円の寄付金が集まって計画は実行に移されたが、大阪市の方針は「秀吉の天守を復興させたい」というものだった。
とはいえ、いまの大坂城にある天守台の石垣は、徳川家が再築したもので、地下に埋まる豊臣大坂城のものとは場所が違えば、表面積も豊臣時代の約2倍ある。
しかし、上に記したように、当時はこの石垣を徳川が築いたということも、豊臣大坂城の天守台とは規模も構造もまるで違うということも、はっきりしていなかった。
そのあたりが曖昧なまま、京都府の技師で京都帝大教授だった天野俊一の指導のもと、大阪市土木局は『大坂夏の陣図屏風』を参考に、豊臣時代のより小さな天守の姿を、徳川による大きな天守台の上に再現した。
しかし、豊臣大坂城の天守と徳川大坂城の天守には、なにひとつ共通点はなかった。むしろ徳川家は、地上から豊臣色を抹殺するために大坂城もゼロから築き直したのであり、あえて豊臣大坂城の特徴は徹底的に消し去っていた。だから、結果として、摩訶不思議な建物が出現することになったのである。
■「望楼型」と「層塔型」
豊臣大坂城の天守は、二重の大きな入母屋屋根の建物に小ぶりの望楼(物見)を載せた、天守としては初期の様式「望楼型」だった。『大坂夏の陣図屏風』を見ると、壁面は黒漆を塗った下見板張りで、金箔押しの瓦と金の破風飾りで装飾され、最上層の壁面には欄干より上に鷺、下に虎が金で描かれている。派手好きの秀吉の趣味が反映されたと思しき絢爛たる豪華さである。
ただし、大坂城天守が見える最古の絵『大坂城図屏風』に描かれた姿は、黒漆塗りの壁面に金で装飾された大きな木彫りの菊紋と桐紋が取りつけられ、『大坂夏の陣図屏風』に描かれた天守以上に金の装飾で覆われている。屋根の交差の仕方も異なる。
文禄5年(1596)に発生した慶長伏見地震では、伏見城(京都市伏見区)が壊滅し、大坂城内でも千畳敷対面所が倒壊した。大坂城の天守もこのとき大きな被害を受け、建て直されたか、大きく修復された可能性がある。だが、いずれにしても、絢爛豪華な望楼型であったことには変わりない。
一方、徳川大坂城の天守は、初重から上重に向けて、同じ形の床面を一定の比率で徐々に小さくして積み上げる、あたらしいシンプルな様式「層塔型」で建てられていた。また、壁面は白い漆喰で塗り籠められ、真っ白い外観だった。
要するに、両者はまったく異なる建築技法と発想の上に成立したものだった。規模も徳川大坂城のほうが、天守台表面積が豊臣大坂城の2倍というだけでなく、高さも12~13メートルほど高かった。ちなみに、徳川大坂城の規模で「望楼型」の天守は、史上に存在したことはない。
■城郭の歴史とは無縁のトンデモ建物
さて、徳川の大きな天守台上に建つ「大阪城天守閣」は、典型的な「望楼型」で、『大坂夏の陣図屏風』に見られる鶴(屏風では鷺だが)や虎の装飾も施されている。しかし、壁面だけは黒漆塗りの下見板張りではなく、徳川時代と同じ白亜に塗り籠められている。
こうなったのは、昭和9年の段階では、豊臣大坂城と徳川大坂城の違いがわかっていなかったことが主因だが、ともかく大いなる「誤解」の上に成立した建築であることは疑いようがない。姿も様式も、城郭の歴史、天守の歴史においてどこにも存在したことがない「摩訶不思議な建物」とでも呼ぶほかない。
しかし、「大阪城天守閣」がこうしたトンデモ建築であることを知る人は、いまも少数派なのではないか。令和元年(2019)に大阪市で開催されたG20サミットで、当時の安倍晋三総理はこの「天守閣」を、「16世紀のものが忠実に復元された」と紹介したが、同様に思っている人が多いように思われる。
この「天守閣」を建てた当時の「誤解」が、この天守が建ち続けることで、修正される機会を逸している。
全文は↓
https://news.yahoo.co.jp/articles/55b0568c564eb0454455d9fa425f086dd859c39f
[PRESIDENT ONLINE]
2026/10/24(土) 6:15
草
何時から日本の歴史は清く正しいなんて勘違いしてんだ?
歴史学んだ事無さそうだね
気にすんなよ
アホじゃねえの
コンクリート製で歴史考証ゼロのパッチ物でも、それなりの年月経過したら歴史建造物になった例
https://www.asahi.com/articles/ASVBJ262FVBJUCVL02YM.html
大阪のシンボルとして親しまれている大阪城天守閣(大阪市中央区)が、国の重要文化財に指定される見通しとなった。
と、重文になるのは天守閣
三井本館とか三越本店とか築地本願寺本堂とか
代々木競技場とか太陽の塔とか日本水準原点標庫とか丸沼堰堤とか
建ってから90年の大阪城天守閣が重文になるのは当然
むしろ代々木競技場の重文指定が2021年だからそれと比べると遅すぎ
こんなもん重文にしたら
もとの秀吉築城天守に木造再建できんくなる悪手
文化庁的には新しい木造建築でしかない
史実に関係ない鉄筋コンクリート造でも
建ってから90年以上の大阪城天守閣のほうが文化庁的には価値がある
もう用済みとなったお城を
戦前の庶民がお金を出し合って
復興させた鉄筋コンクリートの貴重なお城だろ?
権威の象徴から庶民のシンボルとなった貴重な文化財だぞ?
現存とか言われてる天守も建材は既に9割以上が昭和の材木だし基礎は礎石が取り去られてコンクリになってる
そもそも設計も観光用に改造されてるものも多い
これらが建築時そのままのような「誤解」の方が深刻だろ
「大坂夏の陣図屏風」を見て再現て、ほぼファンタジーで草生える
本来、城ってのは、その時代の最先端の建築技術で建造するのが筋とも言えるよな。
その時代の様式と工法で建てられるというのが普通のできごと
外国人には巨大エレベーターが好評だった
ちょっと前にTVでやっていた
鉄筋コンクリートだからできること
大阪城は、訪日外国人観光客の間で「日本の城」人気ランキングで圧倒的な1位に選ばれています。
天守閣に設置された近代的な巨大エレベーターやバリアフリー設備が、外国人観光客をはじめ多くの来場者に利用されています。
以下グーグル
テレビのクイズ番組などで度々話題になる「大阪城が外国人に大人気でランキング1位を獲得している理由」と「エレベーター」の関係について解説します。
お探しの情報は、主にテレビ朝日系の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』などで扱われた「訪日外国人が訪れた日本の城ランキング」で大阪城が1位を獲得したというトピックです。
なぜ大阪城が1位?エレベーターとの関係
歴史的な木造建築が残る「姫路城」などを抑え、近代的な「大阪城」が外国人に最も選ばれる理由は、
まさにエレベーターや冷暖房が完備された「観光のしやすさ(バリアフリー)」が海外のライト層から大絶賛されているためです。
ギャップが「クール」と高評価
外観は伝統的な美しいお城(天守閣)でありながら、内部に入ると近代的でエレベーターで一気に展望台まで登れる「ハイテク要塞」のようなギャップが、
多くの外国人観光客に「快適で素晴らしい」と受け入れられています。
なかなか進まない名古屋城だって
石垣を使わずにコンクリート土台の上に作る
石垣は重要なものなので仕方ない
木材は鉄で補強
鉄・コンクリート・木のハイブリッド名古屋城
江戸城は建築基準法が通しにくい。
建築基準法の適用を除外するには文化財の再建って条件があるんや。
名古屋は文化財の再建って解釈が成り立つけど
江戸城は再建の解釈が成り立つか微妙なんや
図面はあるけど、建ってないからな
現在の皇居にある天守台(天守の土台の石垣)は家光建立の天守が火事で焼けてから一度壊して作り直したものなんよ
なので歴史的事実としてその上に天守が築かれたことはない
土台の石垣だけあって上モノの建物が無いのが史実通りなんや
本物の城マニアはまず堀や地形を見る
城の本質は堀にあって天守閣は飾りみたいなもん
天守の事を天守閣と呼ぶのは確実に素人なw
天守閣という用語は近代以後の産物
これ多分別の城と勘違いしてるんじゃないかな
調べても今のコンクリ大阪城の内部が木造だった時代はないとしか出てこないし、取り壊された記録もないと出てくる
結局妥当な落とし所じゃね
◎国の重要文化財に指定気分
重文は「城としての正しさ」より「昭和初期の鉄筋コンクリート建築としての価値」を見る制度のようですが、観光の看板が史実と誤解されたままなのも気になりますね。みなさんはどう考えますか?
引用元:【大阪】現在の「大阪城」は史実と無関係の"トンデモ建築"なのに…「国の重要文化財に指定」に開いた口が塞がらない
元記事:https://news.yahoo.co.jp/articles/55b0568c564eb0454455d9fa425f086dd859c39f


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